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今日は本日開催のイベント、ポケットマルシェ(蚤の市)に遊びに行って来ました。
場所は京都のけいはんな記念公園!!
ここの公園は、とても広くて気持ちのいい公園でした。あまりにも天気が良く(午前中だけでしたが)
気持ちよかったので、ついついながいしてしまいました。
またイベントの雰囲気も良く、メッチャ気に入ったので次回の(6月)出展にもエントリーしてきました。
抽選に受かりますように

それと、キントレマンが家具の記事を書いてくれないので、少し家具のこと書かして貰います。
今日、ポケットマルシェから帰ってきて、来週の南港でのフリマ王国出展作品を数点作りました。
キッズStoolで~す。メッチャかわいい出来に自分でビックリ!!ど~ですか!!
40歳が見えてきた最近、特にこのことを意識してしまう。
僕が中学生の時、周りの友達が自分たちの父親のことを「お
やじ」と呼んでいることに気づく。
高校生になるとほとんどの友達が「おやじ」と呼んでい
た。
僕もお父さんを「おやじ」と呼ぼうと試みるが呼ぶこと
ができない。何度も意識して試みるがどーしても「おや
じ」とは呼ぶことができない。
そしてそのままお父さんはこの世を去った。
僕には3人の子供がいて、その内2人が男の子だが最近に
なってその呼べなかった理由が解った気がする。
それは“畏敬の念”だ。
「おやじ」と呼ぶには自分が幼すぎることを感じていた
に違いない。
僕はもう、「おやじ」と呼ぶことはできないが、「おやじ」と
呼ばれる可能性は残っている。
いつか2人の子供が僕を「おやじ」と呼ぶとき、僕はどん
な気持でこの言葉を聞くだろうか?
そんな日のことを考えると「長生きしてーなぁ~」と思
う今日この頃。
このお客様は以前にスツールを2脚オーダーしていただいたお客様で、
そのスツールを気に入っていただいて今回の靴棚の引き合いにと繋がった。
このように前回の商品を気に入っていただいて、再度引き合いをいただくと
言うのはやはり嬉しい。
現物を確認してもらった上での引き合いは、僕たちの自信にも繋がるし
期待を裏切ってはいけないと言う使命感も湧き上がる。
4月23,24のロハス出店も決まったので商品チェックのつもりで是非MOTH548の
ブースを覗いて声を掛けてくださいね。
なんか最後は宣伝みたいになっちゃったけど、「自信」が「自惚れ」にならないよう
これからも全力で物作りに精進します。p(#^▽゚)q
トレーニングを行う前には、みんな独特の雰囲気をもっている。
僕は毎回のトレーニング日誌を付けているので、前回は○○○kgで
○○回挙げたと言うのが一目で分かるので、その記録を下回ることに
なるとかなり凹む。
なんでや!
昨日睡眠不足やったからか?
年齢による衰えか?
仕事がきつかったからか?
等々、悶々とその日を終える事になる。
それが解っているので、トレーニングに向かうときは、トレーニング
器具を睨み付け、指を差し、「俺はおまえには絶対に負けない!屈し
ない!!」と気合いを入れて器具に向かう。
そして時に打ち勝ち、時に屈服している。
40才が見えてきた今日この頃だが、まだまだ若いもんにはまけない
ぞぉ!!
トレーニングを続けていると、どうしても怪我との「闘い」に
なる。
僕のように、長年トレーニングを続けていると「闘い」と言う
よりも、「共存」に近い感覚になってくる。
もう、1年365日の内、どこも痛みがない時が少ない。
いつもどこかが痛い。
今は左の首筋から肩胛骨の裏あたりにかけて、引っ張られ
るように痛みが走る。
怪我をすると体の痛みが辛いのではなく、せっかくトレーニ
ングで得た「超回復」後のトレーニングが出来ないのがすご
く辛い。
まるで前回のトレーニングが全くの無駄に終わったかのよう
な虚脱感に襲われてしまう。
筋肉痛は大歓迎だが、怪我の痛みは心まで痛くなる。
腕や肩の痛みは、角度を変えたり、種目を替えたりしてなんと
かメニューをこなすが、背中だけは何をしても痛い。
そう、トレーニーにとっての怪我とは、肉体的な痛みとの闘いだ
けではなく、精神の痛みとの闘いでもあるんだ。
(俺、おかしい??)
